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(蜜柑/久藤木野)
喉がやばい、と眉をしかめてしきりに言うそのひそめた目が自分に決して向けられることのない嫌悪の表情に少し似ていた。僕はそれを眺めるふりをして見つめていて見とれるとも表せない心情でいた。人のいない図書室は声を忍ばせても十分意図が通る。木野は喉元を撫でながら時折焦れたように震わせて、らちがあかないように痛がるまま目を伏せる。風邪?と聞くと、バイト、昨日、声出しすぎた、と少ししゃがれた音で返った。そんで疲れて眠くてもう、と言いながら椅子を抱えるようにだんまり凭れきってしまうので、どうしたものかと思ったまま鞄を探って飴を見つける。変哲もない喉飴で、少しばかり蜜柑の味がきついものだ。これでも食べたら、と手渡すと案外もう気力もないように手をのろのろと
もたげて受け取る。触れた指が乾いて冷たくて輪郭だけ生ぬるくて、こちらの指先が一瞬すぐ熱かった。
それからしばらくぼんやりと書棚を見回ってみて、さてと席に戻ってみると木野は背もたれの角に後ろ頭を委ねた姿で目を瞑りながらじっと休んでいた。寝たのかもしれない、飴はどうしたのかと少し顔を寄せてみると微かにあたたかく果実の香りがして、飴の粒のかたちが左の頬に軽く浮き出ている。仰向いて眠る間の抜ける一歩手前のはずの寝顔はその線の整っていることがわかりやすいくらい静かなものだった。熟睡するのが早い。人のことをまつげまつげ言うわりに自分だってたやすく影が落ちる。それにつけても危ない、いつはずみで飴がころがって喉に落ちるかもしれない、と声にしたら大仰に響きそうなほど淡々と考える。首の耳の脈がどくどく言わないよう静かに表情を平坦に平然にする。正当化し
て行ったと滑稽づけない限りためらわずにおれないことをしたくてできる気がした。
我に返ることを止めたいように、正しく息をする木野の閉ざした口に指の背を這わす。乾いて表面だけかさかさひっかかる。指先はさっき書棚をたどったとき埃にまみれたから、駄目と、言えた。
座って眠る眼前に膝を曲げて頬に手をそえてそこにつっかえている飴の位置を親指にとらえたままカウントダウン途中で拙速に不時着した。くちがひらく。くちでひらく。蜜に思う。蜜柑の味がする。そう擬した化学の味がしている。すっ頓狂な親切に擬して何かしていて、甘い味を吸った舌を吸い撫でるのが主目的に変じたようにそうした。探し当てることを忘れた顔すらできた。甘い酸いかたいやわらかいあついぬるい痺れた。何をやっているんだろうと覚めた顔で思ったままってふりはまだできているのかどうか。瞑り忘れた目が眼前の瞼のふるえを察する。侵入時間は1分もなかった。
ついさっき見た眉間の険しさを思い返しながら仮に今突き飛ばされあの顔で生理的嫌悪を言い捨てられたら世界が真っ暗ぐらいぼうぜんとできるのではないかなど考えながらも、寸でで盗むことができた飴をわざとかろりと音を立たせてこちらの頬におさめた。顔を離すと木野はまだうかうかした目を瞬かせて僕を見て口をぬぐうそぶりも吐き捨てる言葉もなかったから、つまらせたら危ないでしょう、と実にいけしゃあしゃあと言ってのけた僕に僕は唾棄する。あの熱の移った飴がまだじわじわと僕の舌をまひさせながら滑って左奥歯に当たった。木野はやっと現状がわかったのかあきれるような恥ずかしいような困惑した表情を浮かべて甘いだけの唾液でうるおわせた口で、お前なあ、それさあ、と歯切れ悪く言って黙った。居心地悪そうに見つめてくる目の色には拒絶も忌避も憎悪も嘲笑すら露ほどもなくて、いいけどって言って、何がいいんだかさっぱりわからせてくれないから、やっぱりその許容がきらいだ。
ついていた膝を伸ばして立ち上がると僕らの周りに蜜柑の香りばかり漂ってやっとむなしい。僕は終わらされたかったんだろうかと思う。終わらせるつもりもなかったんだと思う。かすめて逃げても許されることをわかり直したかった、とか。ぎくしゃくと僕から目をそらしながらべとつくのか自分でついと舐めた唇をまたもやかじりたくなる。できたら、やれたら、摘み採れたら、よかったんだ。この期に及んでまだ諦めと意気地のどちらもなく目を伏せて思う。ずるずるこのままでどうなりもしないと嘲って願う。一回り小さくなった飴が舌先でついと回った。
「なあ、まだ喉痛い」
「ああ、そう」
「返せよ」
え、と思ったときには腕を引かれて膝がくずおれて、かみつくように吸われた口はぼうぜんと開いていた。とにかく息が詰まってくるしくてぼうっとして耳の奥がどうどう乱打をして溶けそうに頬が熱い。不安定な姿勢のまま木野の膝につけた手とひざはがくりがくりふるえる。見開いた目を切なくすがめる頃にはうなじを支える手が耳まで指で撫でて永劫に続いてほしがりながら息ができないから止まらなきゃしんでしまった。
ぷは、けほ、とぶざまに息をついて滲む視界には得意げよりもう少し余裕なく笑っている木野がいて、べたつく舌でもう一度くちびるを舐め合ってから、こういうことになるからそういうことすんなよと挑むようにほざいた。僕の中の何かが居直った気配がして、飴は消えた。